芦辺もなか:和歌山県和歌山市

葦辺をさして鶴鳴き渡る

(紀勢本線ひとり旅 その4)
湯浅から各駅停車で和歌山市の紀三井寺駅にやって来ました。桜の名所だそうです。下調べで和歌浦の不老橋が目に留まり、旅程に組み込みました。歩くこと20分で和歌浦に到着。まずは、和風の庭と欧風の調度品が調和した古民家カフェで昼食をとってから散策開始。

不老橋は紀州東照宮の和歌祭りに通る道に架けられたもので、江戸時代には珍しい石橋です。川沿いのあしべ通りは美観地区になっており、和歌のプレートがいくつも掲げられています。「若の浦に潮満ち来れば潟を無み 葦辺をさして鶴鳴き渡る」山部赤人です。かつては島だったという玉津島神社裏の奠供山の松の緑と岩の崖を鑑賞。あしべ通りの先には御手洗池、その奥には東照宮があります。

84.芦辺もなか

芦辺を目指して飛んできた鶴でしょうか、店の商標が皮種になっています。粒・白・柚餡と三色入った大きいサイズのほうが有名なようですが、一般的なサイズのものを購入しました。皮種の香ばしさと程よい甘さの粒餡が調和した王道最中です。白餡は白い種で、手亡豆ではなく白小豆が使われています。

おてんす最中は?

当初は芦辺もなかではなく、おてんす最中を入手する予定だったのですが、随分前に製造終了したとのことです。土産用に日持ちするよう厚い種を使っていたのですが、バランスに納得できず、止めてしまったとのことでした。おてんすとは天守がなまったものだそうです。山部赤人の和歌の芦辺もなかがありますよと言われ、先程のあしべ通りにあった和歌だ!ということでノーマークだった芦辺もなかをゲットしたのでした。

84.不老橋

上の写真は不老橋ですが、もちろん和歌山城にも行きました。国宝だった天守は和歌山大空襲で焼失し、今は鉄筋コンクリートの復元天守が立つ平山城です。天守前の茶屋で団子とお茶で一休み。その後西の丸で御橋廊下を見ていたら地元の紳士が中を通れると教えてくれて、ライトアップの写真なども見せてくれました。木造復元された橋の廊下を渡って西の丸庭園へ。釣殿がある池を中心にしたすばらしい庭園で、紅葉が色づき始めていました。15時のチャイムの「毬と殿様」の童謡が響くなか帰路に就きました。

芦辺もなか

鶴屋忠彦本舗 和歌山県和歌山市十番丁101 073-431-0116 無休 1個150円+税 三色最中は370円+税
城の北入口から駅に続く大通りを渡って1本裏に入ったところです。控えめな店構えですが、地元の人ならお使い物は有名店よりもこちらで買うと言われる老舗。和歌山城の茶室紅松庵はこの店の和菓子を使っているそうです。駐車場はありません。

稲むら最中:和歌山県広川町

隣の湯浅は醤油の町

(紀勢本線ひとり旅その3)
御坊市を発ち、湯浅駅に降り立ちました。心配していた雨は夜のうちにピークを過ぎ、朝には小雨になっていました。湯浅駅で自転車をレンタルする予定だったのですが、まだ雨が上がらなかったので湯浅醤油まで徒歩で移動。湯浅は醤油発祥の地なのです。

工場の中が見られる通路を通って売店へ。金山寺味噌を作る過程でできたということで、金山寺味噌の他にもTシャツや前掛けなどのグッズもありました。冬季限定の生しょうゆを旅の仲間への土産に購入。リュックがぐっと重くなりました。駅に戻る頃には雨が上がったので、レンタサイクルで広川町へ。広川町を襲った津波から村人を救った「稲むらの火」の実話からできたのがこちらの最中です。

83.稲むら最中

燃える「稲むら」の最中は地元の高校生が考案し、イラストも手がけました。青い包みは「稲むらの塩」が入った粒餡、オレンジ色の包みは隣町の有田産みかんの程よい風味が効いた白餡です。両方とも硬めの餡です。

国連が制定した世界津波の日

嘉永7年(1854年)11月5日、安政南海地震の大津波が紀伊半島を襲いました。広川町の広村では夕方暗くなってから津波が押し寄せ、村人たちは暗闇で大混乱。すると丘の上にあった収穫したばかりの稲を積み上げた「稲むら」に火が付けられたのです。村人はその火を目印に丘に逃げることができました。この話を元に小泉八雲が書いた小説は国語の教科書にも載る防災教材となりました。

83.広村堤防

実話において火をつけた人物は濱口梧陵氏、ヤマサ醤油の7代目です。その後、津波で家や職を失った人々の救済を兼ねて、私財を投入して堤防を建設しました。今も残る広村堤防です。堤防を見学した後、近くの浜口梧陵記念館と津波防災教育センターの「稲むらの火の館」を訪れました。記念館は無料で、勝海舟や福沢諭吉とも親交があった梧陵の人生を紹介しています。防災センターは入場料500円です。

稲むら最中

有田観光物産センター企画販売 1個170円
火の館の向かいの物産館「道あかり」で買いました。稲むらの火の限定パッケージのヤマサ醤油もありました。他にも温泉施設や湯浅PAなど、広川町、湯浅町、有田川町の13ヵ所ほどで販売しています。

名勝つりがねもなか:和歌山県御坊市

安珍清姫の道成寺

(紀勢本線ひとり旅 その2)
田辺市から各駅停車で北に戻り、道成寺で下車しました。ここまでずっと無人駅が続いて運賃はバスのように料金箱に入れる仕組みです。さて、駅から少し歩くとすぐに道成寺の参道です。階段を上り山門をくぐると安珍清姫の伝説の舞台、道成寺です。普段入れない本堂の無料公開中でしたが、残念ながら午後3時の終了時間にわずかに間に合いませんでした。

蛇と化した清姫の怒りの炎で安珍が隠れた釣鐘が焼かれた後、430年後に寄進された二代目の釣鐘は秀吉に持ち去られ、今は鐘楼跡のみが残っています。参拝客は皆帰った後で、静かな境内を一周して寺を後にしました。ところで道成寺は日高川町にあり、参道の土産物店では釣鐘まんじゅうが売られていますが、最中は隣の御坊市にありました。

82.名勝つりがねもなか

名勝の文字が浮かぶ釣鐘は平たい形で、程よい甘さの粒餡と厚めの求肥が入っています。包みの清姫らしき女性の横には淡いオレンジ色で道成寺銘菓と書かれ、足元には桔梗や萩が描かれています。

清姫を祀る蛇塚

道成寺から西へ少し歩くと御坊市に入りますが、そこに清姫を祀る塚があります。安珍を焼き殺したあと川に身を投げた清姫を引き上げ、葬って塚を立てたそうで、「じゃづか」と読むそうです。ところで清姫の出身地では、広く知られたものとは一部異なる話が伝わっています。それによると清姫は安珍を追う途中で蛇と化したのではなく、元々蛇身であったのを安珍が見てしまい、驚いて逃げた安珍を追いかけたそうです。

82.清姫の蛇塚

この後隣のJR御坊駅まで歩き、独立線路としては日本最短の私鉄紀州鉄道に乗り、御坊市の中心街へ。最中を買った後、御坊市の由来となった日高別院(日高御坊)に行こうかと思ったのですが、だいぶ歩いて疲れたので、辺りをのんびり散策して再び紀州鉄道に乗車。他に乗客がいないまま3駅を進みましたが、4駅目で学生たちが乗り込んできてなんだかほっとしました。5駅目が終点となる2.7kmの鉄道でした。この日は御坊市に宿泊しました。

名勝つりがねもなか

郷土銘菓処 ふく田 和歌山県御坊市薗422 0738-22-2937 火曜定休(不定休) 1個160円
紀州鉄道終点の西御坊駅から150mほど。梅や釣鐘、紀州鉄道など名産品や名物テーマの和菓子の他、バームクーヘンやカステラなどもあります。大正3年に手焼きせんべいの店として創業したそうです。駐車場は裏手にあります。

辨慶の釜:和歌山県田辺市

紀勢本線ひとり旅

今回は久しぶりの一人旅。紀伊田辺までの電車旅です。新幹線で隣合わせになったご婦人の目的地も紀伊田辺と知り、話が弾みました。ご家族と待ち合わせとのことで新大阪で別れ、特急くろしおに乗り換えて紀伊半島を南下し、白浜の少し手前の田辺市へ。

駅を出るとロータリーにある高い台座の上に薙刀を構えた僧兵の像が立っています。弁慶です。弁慶の生い立ちについては、生まれた時に2、3歳の体格だったとか、髪と歯が既に生えていたとかの伝説レベルの話しか伝わっていませんが、田辺市はこの地こそが生誕地であると主張しています。

81.辨慶の釜

弁慶の産湯を沸かした釜を模った最中は大変珍しい上下二分割。下の胴の部分に程よい甘さの粒餡、蓋の方には柚入りの白餡が入っていて、それぞれ独立した最中になっています。全体は焦がし種ですが、仕切り部分は焦がしてない白い種が使われています。昭和天皇もお買い上げになったそうです。

鶏は告げた「源氏に付け」

田辺市が弁慶出生の地を名乗る根拠が、弁慶の父とされる熊野別当湛増(たんぞう)の存在でしょうか。源平合戦の際に双方から熊野水軍を出すよう湛増に要請が来たため、紅白の鶏7羽ずつを闘わせ神にお伺いを立てたとの故事があります。駅から徒歩で10分もかからない場所に鬪雞神社があるので行ってきました。熊野三山の別宮であり、社殿がいくつも連なり、神社の前には馬場が未舗装の道として残っています。

81.湛増弁慶の像

次に鬪雞神社から徒歩で8分ほどの南方熊楠(みなかたくまぐす)の顕彰館を訪れました。博物学の先駆者であり、変形菌類・地衣類などの研究者の代表格です。鬪雞神社の裏山でフィールドワークを行い、地域の自然保護にも情熱を注いだ人物です。ここで変形菌などのスケッチが散りばめられたミニタオルを入手。これ以前から欲しかったんです。田辺市は白浜市に続く美しい海岸や海水浴場もあり、のんびり滞在するのもいいかもしれません。

辨慶の釜

鈴屋菓子店 和歌山県田辺市湊15-11 0739-22-0436 無休 1個180円+税
駅前通りを200mほど行った所にあります。キューブ形の個包装のデラックスケーキが売りのようで、全国数か所のデパートなどでも販売しています。柚もなかや梅まんじゅうもあります。

猿蓑もなか:三重県伊賀市

松尾芭蕉は忍者だったのか

伊賀出身だからって忍者とは限らんでしょ。と思いますが、裕福ではなかった芭蕉が奥の細道の長旅の路銀をどうやって工面したか。46歳にしてはかなりの健脚。当時公儀隠密は江戸に住んでおり、芭蕉も江戸住まいだった。こんな状況から、諸藩の内情を探るため幕府が遣わした隠密との説があります。なるほどねー。

芭蕉が奥の細道の旅を終え、伊勢の神宮から伊賀に向かった際、国境の長野峠で詠んだ句があります。「初しぐれ猿も小みのをほしげ也」ユーモラスな句との解釈と、山中で冷たい雨に濡れる猿の姿に己を投映したという正反対の解釈があります。2年後に別の俳人二人によって編纂された俳句選集の巻頭に掲載され、その書名も「猿蓑」と付けられました。

80.猿蓑もなか

小蓑と笠を模ったヒメノモチの皮種に、甘さ控えめの大納言の粒餡がたっぷり入っています。芭蕉の猿蓑の句が書かれた包みは茶色が粒餡、薄緑色はレーズンの甘みが効いた白餡です。

長野峠にて時雨にあう

伊賀上野城を散策した後は、忍者ショー見物組と分かれ、街中から20km東の長野峠にやって来ました。津市との境にある長野トンネルの上に続く道に入っていくと道の脇に石碑がいくつか立っています。一際高い場所にあるのが猿蓑の句です。折しも小雨がぱらついてきて、雰囲気満点。芭蕉がここを通ったのもこの時期だったようです。

80.長野峠の句碑

峠を後にし、中心街との中間にある旧平田宿で最中を買い求め、城に戻りました。伊賀には和菓子店が多く、しかも団子、餅、煎餅など、それぞれの専門店が多いようです。高虎さんのどら焼きや忍者の兵糧玉のような菓子もあり、クーポンで様々な和菓子が楽しめる「城下町お菓子街道」の企画には15店が参加しています。

猿蓑もなか

つばや菓子舗 三重県伊賀市平田383 0595-47-0029 月曜定休 1個175円
伊賀上野城の南の国道163号を東へ10kmほどの平田宿の旧伊賀街道沿いにあります。漢字では津波屋。伊賀の郷土菓子の背黒(せえくろ)餅は正統派を名乗っています。駐車場1台分ありますが、店前への駐車も大丈夫です。