「沼田城下の塩原太助」
群馬県の上毛かるたの「ぬ」です。沼田藩の領地だったみなかみ町出身の塩原太助は、貧しさから抜け出して江戸で炭屋となって大成功した立身出世の人物です。太助と多助で字が違うという謎は後ほど解説しますが、まずは旅の様子を。
沼田インターのすぐそばに店があるので、まず最中を購入してからみなかみ町へ行く途中に沼田城址に寄りました。石垣が少し残るのみで今は公園になっており、復元された本丸太鼓櫓と、真田信之と小松姫の像があります。最中といっしょに買ったみそ饅頭(餡が入っていない饅頭を串に刺し、甘いみそだれを付けて炙ったもの)を食べてから散策しました。城の北西は急斜面になっており、眺望が楽しめました。
包み紙には多助、皮種には太助と書かれた炭俵の形です。練り気味の少し甘めの小豆餡がたっぷり入って満足感があります。ばら売りの包みは袋型ですが、こちらの3個パックは炭俵の形に包んであります。
塩原多助一代記
太助は義母に虐められふる里を追われましたが、江戸で炭屋に奉公し、真面目な働きぶりで主人に認められて店を出すことができました。炭の量り売りを始め、炭粉を固めた新製品を発売するなどして成功を収めました。その後も簡素な暮らしを続け、常夜燈の設置や寺社への寄進などで世の為人の為に財を使いました。後にこれに感激した三遊亭圓朝によって落語の人情噺「塩原多助一代記」が創作され、大人気を得て出版物や歌舞伎にもなりました。戦前には教科書にも載っていたそうです。フィクション部分が多いので本名の太助を多助に変えたという訳です。
みなかみ町の塩原太助翁記念公園には、渋沢栄一揮毫の記念碑の横に多助と愛馬あおの像があります。多助の命を救った愛馬あおとの別れの場面です。あおはこの時涙を流したといいます。また、あおは多助の命を狙った者が誰かわかっていて後に復讐を遂げるのです。すごい、すごすぎる。実はこの場面は創作で、あおがいたかどうかもわかりませんが、あおを繋いだ木というのが3か所ほど伝わっているようです。
多助俵最中
大丸屋製菓太助庵 群馬県沼田市横塚町1366-3 無休 0278-22-2489 1個160円 3個パック580円
沼田インターのすぐ近く、ケンタッキーFCの隣です。どら焼きや羊羹、練り切りなどがあり、群馬名物のみそ饅頭(焼きまんじゅう)は注文を受けてから焼きます。4連なので1串買おうと並んだら前にいた地元の人は10串買っていました。駐車場広いです。みなかみ町の太助公園前にはこの店のドライブインがあります。