弥生銅剣:島根県出雲市

荒神谷遺跡の銅剣

日本全国で見つかった銅剣はおよそ300本でした。荒神谷で大量の銅剣がみつかるまでは・・・。ということで出雲市の南部、山陰道の斐川インター近くにある荒神谷遺跡に行ってきました。

夏には古代の蓮の種から再生した二千年蓮を見に多くの人が訪れるとのことですが、この日は数人のみ。予約してなかったのですが、ボランティアガイドさんが遺跡を案内してくれました。銅剣が果たした役割や、銅剣が不要のものとなって埋められたことに気候変動が関係している推測などとても興味深いお話が聞けました。

弥生銅剣

銅剣の形の皮種には、最中としては珍しい餡が入っています。小豆を炊く途中で皮を剥いで炊きあげ、こし餡にした皮剥餡(出雲地方では朝汐餡という)に、皮付きの小豆粒が少し入っています。まったりした食感の甘めの餡。

その数358本!

それは昭和58年(1983年)の広域農道の調査で須恵器の欠けらが見つかったことから始まりました。調査を始めて2日後に銅剣を発見。次々に土の中から銅剣が現れ、一旦調査を中断。全国から専門家を呼び寄せ、調査体制を整え直し発掘再開。最終的に銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土したのでした。

荒神谷遺跡

発掘された銅剣は島根県立古代出雲歴史博物館にありますが、荒神谷博物館をのんびり見学。ミュージアムショップでは銅剣の箸置きを購入しました。神々をイメージしたブレンド茶やここで収穫された古代米、意外と知らない出雲神話を面白く紹介した絵本などもありました。

弥生銅剣

福泉堂 出雲市斐川町直江1978-4 0853-72-0078 日曜午後休 1個135円
国道9号と山陰道の斐川インターが交差する「荒神谷入口」交差点近くで、地図で見ると9号沿いですが、入口は道1本入ったところです。駐車場あります。

大橋もなか:島根県松江市

源助さんを悼んで

松江城と松江駅の中間には宍道湖と中海をつなぐ大橋川に4つの橋がかかっています。左の宍道湖側から、宍道湖大橋、松江大橋、松江新大橋、くにびき大橋です。このうちの松江大橋の名が付いた最中があるのですが、何でこの橋?と思ったら、そこには悲しいお話があったのです。

松江城築城に際して資材を運び込めるよう、それまでの竹の筏の橋を大きな木造の橋に架け替えることになりました。ところがこれが難工事で何度も失敗するため、水神の怒りを鎮めるため人柱を立てることになったのです。朝一番に通りがかった足軽の源助が捕らえられ、生きたまま橋脚の下に埋められました。そうしてこの犠牲のうえに松江大橋は完成したのです。

最中の形は現在の松江大橋の欄干の親柱です。最中の厚さが薄めで、餡もほどよい甘さなため、軽く食べられます。旅行者だと気づいたお店のお母さんが、日持ちするパック入りのものを奥から持ってきてくれました。

昭和の源助さん

橋の南詰には小さな公園があり、供養碑が2つ立っています。ひとつは源助さんで、もうひとつは昭和12年、現在の大橋建設の際に事故で命を落とした深田技師のものです。源助柱の近くで起きた事故だったので、当時の新聞は昭和の源助さんとしてこの事故を伝えたそうです。

今の松江大橋は17代目ですが、風情ある佇まいです。欄干には擬宝珠が、歩道には見晴らし台の張り出しがあり、夜には灯篭に明かりが灯ります。なんでも現在松江大橋付近の護岸嵩上げの計画があり、もしかしたら18回目の架け替えが行われるかもしれません。

大橋もなか

豊月堂 松江市横浜町66-1 0852‐21‐3795 日曜午後休 1個120円
国道9号沿いで、駐車場は店の隣に1台分あります。店から出て左の竪町交差点を左に曲がり、途中で一方通行をちょっと斜めに入って、そのまま行くと松江大橋に辿り着きます。

松江城最中2種:島根県松江市

現存天守 国宝松江城

日本三大和菓子処のひとつ、松江市に行って来ました。茶人でもあった第七代藩主、松平不昧公の200年祭ということでお茶と和菓子のイベントなどがいろいろあるようでしたが、目指すは最中のみ!その前にまずは国宝松江城へ。

無料解放されている県庁の駐車場にレンタカーを停めて大手門から入城。高い石垣に圧倒されながら天守へ。黒い雨覆板張りの一層と二層の上に乗った白壁の千鳥破風がかっこいいです。千鳥城という別名は千鳥破風が四方にあるからだそうです。天守が国宝に指定されたのは意外と最近の2015年です。

松江城の名が付いた最中は2種類あります。ひとつは城の形で、もうひとつは築城主の堀尾吉晴の家紋「分銅紋」です。城のほうは仁多米を使ったさっくりした皮種に柔らかい餡が、紋のほうは小豆の風味がしっかり味わえる餡で、両方とも程よい甘さです。

堀尾吉晴公と松江城

堀尾家の分銅紋は、数々の戦で手柄を立てた吉晴公が豊臣秀吉より下賜されたものだそうです。松江城の大手門前の入口には松江城に向かって指示棒を掲げた吉晴公の銅像が立っています。この像と松江城をいっしょに写真に収めたかったのですが、なんと両者の間に松の木が。

松江は水の都とも呼ばれ、すぐそばに宍道湖が広がっていますし、城を取り囲む堀川からつながるいくつもの川を巡る遊覧船が出ています。和菓子店を回って城下町の風情を楽しみ、小泉八雲記念館を訪れて・・・なんてしたかったですが、今回は時間の都合でのんびりできませんでした。さて次回は果たしていつ?

松江城最中(城)

青松庵たちばな 島根県松江市袖師町11-1 0852-32-2345
日曜定休 1個185円
店内の和カフェから宍道湖の夕日スポットとして有名な嫁島が見えます。入口と駐車場が少しわかりにくいですが、10台以上停められるようです。

松江城最中(分銅紋)

桂月堂 島根県松江市天神町97 0852-21-2622 1個173円
松江駅から徒歩5分。駐車場7台あります。店の前は一方通行です。一畑百貨店にも出店していて、百貨店のネットショップでも購入できます。

月の輪:島根県安来市

敵討ちのワニザメ退治

安来といえばドジョウすくいの安来節が有名ですが、8月14日には安来の一大イベント月の輪まつりがあります。出雲国風土記に記されている月の輪の由来とは・・・。

674年7月13日のことでした。中海の毘売崎で遊んでいた語臣猪麻呂(かたりのおみいまろ)の娘が、ワニザメに襲われ殺されてしまいました。敵討ちを誓った猪麻呂が海岸で神々に祈ると百匹ものワニザメが現れました。群れの中心にいた大ワニザメを鉾で仕留め腹を割くと、娘の足がでてきました。怒りと悲しみでサメを切り刻み、鉾に刺してさらした形は月の輪(=三日月)のようであったということです。

横長の四角の最中には月の輪の鉾が描かれています。個包装の表には神事の様子が、裏には簡単な説明が載っています。餡は甘めで、きっちり包装されて賞味期限が長いので、砂糖の結晶ができるのを待って楽しむこともできます。

離れて向かい合う父娘の像

安来駅から出てまっすぐ歩くとすぐに安来港に出ます。右を見ると海の中に出た岩の上に猪麻呂の娘の像があります。これと対になるのが父親の語臣猪麻呂の像で、こちらは安来駅を出て左へ行くと左側にあります。猪麻呂の像は後ろが電線だらけで、なんかちょっと残念。

猪麻呂の敵討ち以来、毎年8月に娘の慰霊のために村人たちが4日間踊り続けたとのことです。市をあげての祭りとして今も続いていて、初日には5,000発の花火が上がり、哀愁を帯びた笛と太鼓に合わせ、三日月型の行灯を掲げた山車が練り歩く神事が4日に渡って開催されます。猪麻呂が神々に祈り始めてからサメを仕留めるまでに4日かかったことに因んでいるそうです。

月の輪

佐川末廣堂 島根県安来市安来町1195-1 0854-22-2569 日曜定休 1個140円
駐車場はありませんが、交通量が多くない道のようなので店の前に停めさせてもらいました。

鬼もなか:鳥取県伯耆町

日本最古の鬼退治伝説

桃太郎、酒呑童子、茨木童子・・・鬼退治の伝説は各地にありますが、米子市内から10km余り南の伯耆町溝口には日本最古の鬼退治伝説があります。

紀元前3世紀のことです。鬼住山(きずみやま)に住む鬼兄弟の大牛蟹(おおうしがに)と乙牛蟹(おとうしがに)は、人をさらい食べ物を奪って村の人々を苦しめていました。そこで第七代孝霊天皇は鬼退治を決意。苦戦が続きましたが、村人が作ってくれた笹苞団子と、天津神のお告げで用意した大量の笹の葉のおかげで鬼兄弟を退治したのでした。

鬼もなか

伝説とは違い、漫画のような鬼の顔の最中です。中は砕いたくるみがたくさん入った小豆餡。甘めの餡とくるみのバランスがいい感じ。米子市の餅屋さんが作っているのですが、店舗が無いので米子鬼太郎空港のセブンイレブンで購入しました。

守り人となった大牛蟹

鬼伝説の地へは、米子から国道181号を南下しました。溝口インター入口の信号を過ぎると行く手の川向こうの丘に巨大な鬼が座っているのが見えます。遠目からもなかなかの迫力!小鬼たちの像が四隅を守る鬼守橋(きもりばし)を渡って、今は無料開放されている「おにっ子ランド」へ到着。

他に観光客は見当たらず、巨大鬼が鎮座する「鬼ミュージアム」も今は閉館し、寂しさが漂っています。巨大鬼の像は降参して手下となった大牛蟹でしょうか。都の北の守りを任された大牛蟹は古巣の鬼住山の方を向いて座っていました。

鬼もなか

餅屋いけがみ 鳥取県米子市錦町2-205 0859-22-7863 火曜定休 1個162円
米子市内にあった店舗は閉店してしまいましたが米子鬼太郎空港セブンイレブンで販売しています。通信販売をしていて電話でも注文できます。0120-22-7864