下田文庫:静岡県下田市

歩く図書館―平井平次郎

下田市について下調べをしていた際に見つけた最中の名前が「下田文庫」でした。平井平次郎なる人物の別名とわかったのですが、さて、何者なのでしょう。

広報しもだ2009年6月号によると、天保時代の町の書記だった人で、20年近くかけて下田の行事や式典の作法、祭りや寺社の縁起由来、訴訟の記録、幕府の触書などの公の記録から、火事、殺人、心中といった市井の事件までを「下田年中行事」として全87巻に書き上げました。そんな平井翁はいわゆる歩く図書館のような博学な人だったことから下田文庫と呼ばれていたということです。

下田文庫

手文庫を思わせる形の薄めの最中には程よい甘さの小豆餡が入って素朴な感じです。包み紙はなまこ壁の土蔵が描かれた渋いデザインです。文字に興味を引かれ尋ねてみると、書家の故船津環洋の手によるものとのこと。船津先生のお連れ合いと店の創業者がいとこ同士だった縁で書いてもらったそうです。

安政の大津波

ペリーが再来航し下田条約を結んだ1854年の11月、安政の大津波が下田を襲いました。失われた命は500人とも600人とも言われています。この時、87巻の下田年中行事は役人が抱えて山へ運び、難を逃れました。明治以降は町長室の専用本箱に厳重に保管されているそうです。今では1冊にまとめられたものが長倉書店より出版されています。

下田のなまこ壁

こちらは包み紙にも描かれているなまこ壁です。ペリーロードの旧澤村邸で、無料の休憩所になっています。さて、平井平次郎の記念碑が下田八幡神社にあるというので訪ねてみました。本殿脇の木が生い茂った場所にひっそりと石碑が建っています。随分昔に建てられたらしく、かろうじて平井と読める程度。手前にもう一つ石碑があって説明が刻まれていますが、こちらも文字が薄れてしまっていました。

下田文庫

平井製菓 静岡県下田市2丁目11-7 0558-22-1345 火曜定休 1個130円+税
本店は大通りから入った場所にありますが、マイマイ通りの中島橋近くに支店があります。両方とも駐車場はないようなので、本店の前の道に停めました。ハリスさんの牛乳あんパンで有名な店で、他にも和風ロールや季節のあんパンもあります。

黒船来航最中:静岡県下田市

サスケハナに乗ってペリーはやって来た

8月下旬に伊豆半島の下田市に行って来ました。謎解きをしながら静岡県内を巡るという某自動車メーカーの夏休み企画があり、参加した知人に便乗してのドライブ旅です。海水浴客で賑わう海岸通りを過ぎて、下田の市街地に向かいました。

下田港には 遊覧船「黒船サスケハナ」が 停泊していて、伊豆急下田駅前の広場にはこれまたサスケハナの大きな模型が鎮座しています。謎解き企画で吉田松陰が隠れ住んでいた家などを回った後、ロープウェイで寝姿山に登り、黒船見張所跡から下田湾を一望。 次に、古民家や蔵が並ぶ川沿いのペリーロードを散策しました。そんなペリー&黒船推しの下田にはもちろんこんな最中が。

黒船来航最中

かわいい黒船ですが、3本マストと煙突、外輪を端的に表した形です。程よい甘さの粒餡で、刻んだ栗が主張しすぎず味に深みを与えています。後ろの黒い最中KUROMONAは炭入りの皮種に別包装の餡を自分ではさむタイプで、栗は入っていません。

開国の舞台となった下田市

ペリーは最初4隻で浦賀にやって来ましたが、2度目は9隻で来航。日米和親条約締結後に下田に寄港し、その細則を定めた下田条約に調印しました。下田に米国総領事館が置かれ、ハリスが初代総領事になったのでした。黒い船体が蒸気を噴き上げ大きな車輪が水しぶきを上げる蒸気外輪フリゲート「サスケハナ」号は、帆船時代の当時としては最大級の戦艦でした。

黒船サスケハナ

さて、下田港周辺は様々な幕末の逸話の舞台となりました。密航しようとした吉田松陰、脱藩を許された坂本龍馬、ハリスのお妾と勘違いされ迫害された唐人お吉など、記念館や開国の舞台となった寺などを巡ることができます。また6月には開国記念碑がある下田公園であじさい祭りが開催され、多くの観光客で賑わいます。電車を利用するなら伊豆急行の黒船電車が運行しているので、要チェックです。

黒船来航最中

ロロ黒船 静岡県下田市二丁目2-37 0558-22-5609 無休 1個170円
店名のとおり黒船とペリーをテーマにした和菓子がたくさんあって、お土産を買うのに迷います。大きくはないですが素敵な店舗で、季節毎にかわいい上生菓子も発売しています。龍馬像とお吉記念館がある宝福寺の近くで、駐車場あります。

子もちたこ最中:兵庫県明石市

明石焼・玉子焼・卵焼き?

平磯灯標を見た後、明石海峡大橋を臨むコーヒーショップで昼食をとってから、次の目的地へ向かいました。神戸の隣の明石市です。明石のお土産で明石焼をもらうことがありますが、地元では玉子焼と言うそうです。タコが入っていないのは卵焼き。さらに明石焼という陶磁器もあるのです。ややこし。

明石海峡では2000年も前からタコ漁が行われていたそうで、明石ダコと呼ばれるこの付近のマダコは、豊富なえさと強い潮流で育つので味がよく、漁獲量も日本一です。タコ焼きや明石焼が有名になるにつれ、明石ダコの名も知られるようになっていったそうです。

子もちたこ最中

タコの形をしたこの最中は子もちたこ最中。中に求肥が入っており、子持ちと小餅をかけてあるのでしょうか。程よい甘さの粒餡、白餡、抹茶餡があり、求肥とのバランスもちょうどいいです。

子午線と明石城

明石市ではまず、日本の標準時を決める東経135度の子午線上にある、明石市立天文科学館を訪ねました。時と天体に関する展示を見学してから、展望室からの眺めを楽しみ、科学館裏手の子午線標識へ。通称トンボの標柱。子午線の標識は他にもいくつかあるのですが、古いものは位置が少しずれているとか。そしてトンボの標柱の隣には蛸壺塚があります。タコと蛸壺の供養の為に建てられたそうです。「蛸壺やはかなき夢を夏の月」松尾芭蕉の句が刻まれています。科学館ごしに明石海峡大橋が見えました。

蛸壺塚

さて次に訪れたのは「天守閣はない。ロマンはある。」でお馴染み(?)の明石城です。正直言って期待していなかったのですが、圧巻の石垣と美しい2基の現存櫓が!しかも姫路城より広いとか。今年が築城400周年という明石城は、今はきれいに整備された公園になっていて、市民の憩いの場として賑わっていました。「天守閣は・・・」を含め6種類ののぼり旗が面白いですよ。

子もちたこ最中

明植堂 兵庫県明石市桜町14-21 078-912-3600 不定休 1個160円
明石駅の南口から徒歩3分ほど。タコの他にも鯛やあなごなど明石の海産物をテーマにした和菓子がいろいろあります。2階は喫茶室になっています。明石駅のピオレ明石にも出店しています。

平磯もなか:兵庫県神戸市

海の中の灯台

いつもお世話になっている方にお会いするのを兼ねて、神戸に行って来ました。まずは新神戸駅の裏側にある布引の滝を見てから、その方と合流して一路垂水区の平磯へ。英国の小説家サマセット・モームも見たという平磯灯台を目指します。

灯台と言ってもこの平磯灯台は海の中に建っています。正しくは平磯灯標といい、明石海峡手前の平磯沖1.1キロメートルにあり、暗礁が多いこの付近の船の安全を守っています。江戸時代から標柱としてあったそうで、明治26年(1893年)に鉄筋コンクリートの灯標となりました。下関海峡の灯標が撤去されてからは、現存する日本最古の海中コンクリートだそうです。そんな平磯灯標の最中がこちら。

平磯もなか

灯標と波が描かれた皮種はかなり薄く、餡がしっとりと染みてもちもちした食感になっています。最中全体も薄い感じがしますが、程よい甘さの餡がたっぷり入っています。他に白い皮種のこし餡と桃色の皮種の柚餡があります。

サマセット・モーム「困った時の友」

サマセット・モームは「人間の絆」や「月と6ペンス」で有名ですが、世界中を旅して短編も数多く著しています。「困った時の友」という短編に平磯灯標がでてくるということで早速読んでみると――仕事を探している知人に、泳いで灯標を回って戻ってきたら雇ってやるというくだりで登場。人は見かけで判断できるかがテーマの話だったのですが、結末には驚かされました。現在出版されているものでは短編集「コスモポリタンズ」の中に収録されています。

平磯灯標

山陽本線の東垂水駅の南側の平磯緑地が、一番近くに見られる場所です。垂水スポーツガーデンに駐車して、海沿いの遊歩道から眺めました。最中に描かれた灯標はすらりとしていますが、現在は国際ルールに沿って黄色と黒に塗られ、周囲に張り出し台のようなものが付いてポットのような形になっています。大阪湾の向こうには紀伊半島の肩のあたりがうっすらと見え、右を向けば明石海峡大橋が見えます。貨物船が何隻も行き交っていました。

平磯もなか

杵屋総本店 兵庫県神戸市垂水区神田町4-7 078-707-2767 日曜定休 1個162円
JRと山陽本線の垂水駅北口から1本北のローソンの角を入った細い道沿いで、昔ながらの雰囲気の老舗です。駅から徒歩で3分以内ですが、車は有料駐車場を利用することになります。

たむら渡し最中:神奈川県平塚市

相模川の田村の渡し

茅ヶ崎市から相模川を渡って平塚市に入り、予定していた和菓子店に着くとなんと休業日。事前に調べたはずだったのに何か勘違いしていたか?ということで急遽別の最中に変更。平塚市は土地や歴史に因んだ最中がたくさんあるのですが、時間がなかったので一番近い所へ急行しました。

それが相模川の田村の渡し場に因んだ最中です。平塚と東京を結ぶ中原街道の田村の渡しは幕府直営の渡し場でした。大名行列が通る東海道の馬入の渡しを避けて、商人や庶民は田村を利用する人が多く、また大山参詣の大山道の渡しとしても賑わったそうです。田村と馬入の間の四之宮にも渡し場があって、こちらは自主運営で地元民が利用していたようです。

たむら渡し最中

若草色の包みは粒餡で、皮種の桃色が透けているのが白餡です。皮種には蓑を着て舟を操る船頭の姿があり、「たむら」と店名の「いつつや」の文字が表と裏に入っています。焦がし種のつぶ餡は程よい甘さで、少し粒が残る白餡は焦がしていない皮種によく合う最中です。

今は石碑が残るのみ

お店の人から田村の渡しは神川橋あたりにあったそうだと聞き、堤防に行ってみました。渡し場の痕跡を探して神川橋付近を行ったり来たりしていると案内板を発見。橋のたもとだったのですが車で入れず、犬の散歩中の方に教わってやっと渡し跡の石碑に辿り着きました。今は石碑と解説板があるのみで、草が立ち枯れていてなんだか寂し気です。

田村の渡場跡

平塚市と寒川町の間に架かる神川橋の上流側には取水堰があって、白鷺らしき鳥たちの姿がありました。歌川国芳の浮世絵「相州大山道田村渡の景」には寒川町側から見た渡し場と大山が描かれています。同行者の車を寒川側に待たせ、500メートルほどの神川橋を歩いて渡り、帰途に就きました。

たむら渡し最中

井筒屋 神奈川県平塚市田村6-4-14 0463-55-0053 月曜定休 1個170円
売り場の横の工房は通りから見えるようになっています。昔ながらの雰囲気の素朴な店ですが、酸味が少なく甘い苺の大福で有名な店で、夏にはカフェオレ大福も人気だそうです。店の前に小さな1台分の駐車スペースがあります。