伊予路真珠もなか:愛媛県宇和島市

リアス式海岸が育むもの

新居浜市の次は西条市で断層最中を購入の予定だったのですが、残念なことに今年の春に閉店してしまいました。高齢になってもういいかなと思ったそうです。次に大洲市に行ったのですが、予定していた最中は鵜飼の季節の夏限定とのことなので、いずれ取り寄せしてその時の様子と共に紹介することにします。

さて、宇和島市にやって来ました。まずは宇和島城へ。宇和島伊達家が建てた天守は現存十二天守のひとつですが、城の縄張りは藤堂高虎によるもので、幕府隠密をも欺いた五角形です。駐車場がある北側ではなく、現存する薬医門では最古ではないかという上り立ち門から登城しました。高虎時代の石垣など眺めながら天守へ。かつては海城だったという景色を想像してみました。そんな宇和島のリアス式海岸では真珠の養殖が盛んです。

67.伊予路真珠もなか

阿古屋貝の形の皮種にはうわじまの文字と真珠の養殖筏が表されています。封を開けた途端に磯の香が広がり、程よい甘さの白餡は混ぜ込んだ青のりで緑色になっています。小豆餡の最中とは趣が異なりますが、青のりの違和感はさほどありません。

南予の牛鬼(うしおに)

宇和島城天守の入場券には、城を背景に角の生えた赤い動物が描かれています。頭は鬼、胴は牛、尾が剣の牛鬼(うしおに)です。竹の骨組みにシュロの毛を被せたものと、赤い布を被せたものがいて、邪気を払いながら祭りの神輿を先導します。実物が道の駅きさいや広場の牛鬼館で展示されているとのことで見に行きました。隣には真珠館があり、地場産品の売り場では揚げたてのじゃこ天を食しました。

67.宇和島の牛鬼(うしおに)

宇和島でもうひとつ有名なのが闘牛です。年に4場所が開かれるそうで、駅近くの土産物店には闘牛テーマの品が売られていました。牛鬼の民芸品が気に入ったのでみかんジュースと共に購入。あとは、牛鬼祭りのクライマックスとなる和霊神社にちょこっと立ち寄り、夕食には宇和島鯛めしと、盛りだくさんの宇和島でした。宇和島伊達家に興味がある人には伊達博物館や天赦園もあります。

伊予路真珠もなか

吉弘菓子舗 愛媛県宇和島市本町追手1-3-22 0895-22-2135 不定休 1個200円
城の東南の角から100mほどクランクして行きます。宇和島の郷土菓子で、みかんの蜂蜜を皮と白餡にたっぷり使った密饅頭の店です。駐車場はありませんが、短時間なら店の前に停めても大丈夫そうです。

別子一号もなか:愛媛県新居浜市

銅山鉄道の蒸気機関車

観音寺市を後にして、愛媛県新居浜市にやって来ました。ここには住友グループの礎となった別子銅山跡があります。新居浜インターから2kmほどのところに記念館があるので訪問しました。

元禄3年(1690年)に銅の鉱脈が見つかり、翌年から採掘が始まりました。それから300年近くに亘り様々な苦難を乗り越え、掘った鉱量は約3,000万トン、銅の量は約65万トンにも及んだといいます。当時の泉屋は住友と名を変え、新居浜の町や港は栄えました。明治23年には銅山鉄道が開通し、ドイツ製の蒸気機関車が導入されました。それが別子一号です。

66.別子一号もなか

包みには蒸気機関車が描かれていますが、皮種は江戸時代の丸銅を模ったのでしょうか、模様無しの平丸型はかえって珍しいです。砂糖と水飴、寒天で仕上げたオーソドックスな餡は粒が残り気味で瑞々しく、程よい甘さです。

世界遺産登録を目指す東洋のマチュピチュ

別子銅山記念館は大山住神社の境内にあります。神社の階段を上ると左手に別子一号蒸気機関車、右手にサツキに覆われた半地下の記念館があります。住友グループが建設、運営しており、無料で見学できます。四層のフロアを下へ進む作りで、鉱石標本や古文書、道具、坑道模型などの展示の他、歓喜の陽光(ひかり)と名付けられた仕掛けがあり、幕府から採掘許可が下りた5月9日に天窓から太陽光が直接差し込むというものです。こういうのいいですね。

66.別子一号

山中の銅山跡地にはマイントピア別子という観光施設や、さらに奥には東洋のマチュピチュと形容される東平(とうなる)の採鉱本部跡があります。東平は落石の為2023年3月末まで通行止めになっていますので、記念館隣の山根公園グラウンドに立ち寄って、昭和初期に住友社員が奉仕作業で作ったという石積観覧席や、その後ろにある銅山廃棄物の再利用を試みた山根精練所の煙突を眺めました。

別子一号もなか

菓舗蛭子堂 愛媛県新居浜市大生院988-3 0897-41-3841 水曜定休 1個160円
いよ西条インターチェンジから11号を500mほど新居浜方面へ戻ったあたりです。義経の屋島合戦の勝利に因んだ瀬戸の源氏巻が看板商品ですが、季節の上生菓子や新居浜にちなんだ和菓子が充実しています。店横に駐車場あります。

銭形最中:香川県観音寺市

銭形平次のタイトルバック

四国の一人旅を計画していたところ、いつもの旅の仲間が行きそびれた場所があるというので参加することに。車での二人旅となりました。昼前にのんびり出発し、瀬戸大橋を渡ったところで一泊し、観音寺市に向かいました。

観音寺市と言えば銭形砂絵。テレビ時代劇「銭形平次」のタイトルバックにこの巨大な寛永通宝の砂絵が使われているので、時代劇ファンにはお馴染みですね。砂絵の向いの丘に駐車場と展望台があって、少し高い位置から全貌を眺めることができます。年に2回市民の手で補修され、夜にはライトアップされるという砂絵の最中がこちら。

65.銭形最中

寛永通宝の最中です。砂絵があるのが海岸なのでパッケージには海と松が描かれています。程よい甘さの小豆餡ですが、密封パックに入っていて賞味期限が長いためか、日にちが経っていたようで、餡は硬く砂糖が結晶しかけていました。

旅装束の僧、法螺貝を吹く

この砂絵はてっきり観光用かと思っていましたが、1633年や1855年と諸説あるものの、江戸時代に作られたれっきとした歴史遺産でした。銭形展望台で車に戻ろうとした時、旅装束のお坊さんの一団がやって来て、居合わせたお遍路さんが写真を撮っていました。その後すぐに去って行ったのですが、直後に法螺貝を吹く音が聞こえてきたではありませんか!短い時間でしたが非日常の出来事に遭遇してラッキーな気分でした。

65.銭形砂絵

展望台から下って砂絵の前を過ぎると道の駅があります。ここには祭りの太鼓台が展示されていて、映像も流れていました。大きいものは3トンもあるという「ちょうさ」と呼ばれる豪華なもので、太鼓をたたいて引き回します。ちょうさ会館に行けば詳しい解説や展示が見られます。祭り期間中は交通規制のため銭形砂絵への道が封鎖されることがあります。旅の仲間はこれで前回砂絵が見られなかったと言っていました。

銭形最中

白栄堂 香川県観音寺市観音寺町甲1125-7 0875-25-3888 木曜定休 1個170円
和菓子部門は古い雰囲気の造りの店舗で和田邦坊の作品がいくつか置かれており、奥には茶房と洋菓子部門の店舗があります。店の横に8台停められます。

深海もなか:静岡県沼津市

最中のオフシーズンではありますが

旅の仲間が、某自動車メーカーの夏休み謎解き企画で沼津に行くというので便乗しました。沼津と言えば深海魚ですが、小説家の芹沢光治良の故郷でもあり、狩野川には渡し舟もあるということで楽しみに出かけました。

まず狩野川河口の伊豆半島側にある我入道(がにゅうどう)公園へ。旅の仲間が謎解きをしている間に、芹沢光治良記念館を見学。文学者の記念館なので展示物は地味でこじんまりとした館内なのですが、ひとりでのんびり見ていたら昼時にもかかわらず次々に見学者がやって来ていました。その後すぐ近くの牛臥山公園と沼津御用邸記念公園を回って、水族館や海産物の店が建ち並ぶ沼津港で昼食を注文し、料理を待つ間に最中を購入。

64.深海もなか

シーラカンスの皮種に自分で餡をはさむタイプの最中です。粒餡と富士山抹茶こし餡の2種類があり、程よい甘さの柔らか餡です。バラ売りは化石ブラウンと名付けられた焦がし種のみですが、箱入りや紙コップ入りは深度毎のイメージのカラフルなセットです。

日本一深海に近いまち

駿河湾は深度2500メートルと日本一深く、2位の相模湾との差はなんと1000メートル。沼津市は駿河湾の奥に位置するのですが、駿河トラフが湾の奥まで延びているため多くの深海魚が獲れます。タカアシガニで有名な戸田(へだ)港には駿河湾深海生物館があり、深海魚撮影会も開催しています。沼津港には深海水族館シーラカンスミュージアムがあり、みなと新鮮館前の通りは観光客でごった返していました。

64.我入道の渡し

楽しみにしていた狩野川の我入道の渡し船ですが、8月は運休でがっかり。猛暑が落ち着いたらまた来ましょう。我入道は芹沢光治良の生まれ故郷で、自伝的小説「人間の運命」の幼少期はこの地が舞台になっています。網元の家に生まれますが、両親が新興宗教に全てを捧げ、出て行ってしまいます。大正から昭和前期の戦争や関東大震災、スペイン風邪の時代の読み応えがある13巻前後の大長編です。上の写真は沼津港側から見た我入道の渡し場付近の狩野川です。

深海もなか

しーらかんすCafe 静岡県沼津市千本港町128-1 沼津みなと新鮮館内 055-963-1515 火・水曜定休 1個300円 カップ2個700円 箱4個1500円 箱8個2800円
沼津港に隣接するショッピングモール内にあります。深海もなかがトッピングされたソフトクリームや、最中をマカロン風にアレンジしたスイーツが売りの、行列ができるカフェです。モール前が無料駐車場になっていますが、すぐ満車になります。

情けの塩最中:新潟県上越市

敵に塩を送る

十日町市からほくほく街道を西に進み、山を抜けて上越市にやって来ました。埋蔵文化財センターが5時に閉まるので、それまでに御城印をもらわねばならぬということで、脇目も降らず市街地を通りすぎて春日山城の麓へ。なんとか4時50分に到着。中の展示を見ることはできませんでしたが、明日も予定が詰まっているので致し方ないのです。

春日山城は上杉謙信の居城で、文化財センターの前には謙信の騎馬像が立ち、街中には謙信の名を冠した通りがあります。時々信玄と言い間違えるので上越市の人に怒られそうですが、けんしん・しんげん、似てないですか?姓から言えば間違えないのですが・・・。その信玄が北条と今川から塩の流通を止められた際に、両氏からの要請を無視したのが謙信公です。「敵に塩を送る」の故事です。これを誇りに思う上越市にはこんな最中があります。

63.情けの塩最中

むしろで袋を作り、塩を入れて縄で結わえた「塩かます」を模った最中です。ふっくらした形の皮種に程よい甘さの大納言餡と求肥が入って食べ応えがあります。ばら売りは無く、5個パックで1080円。5個と10個の箱入りもあります。

春日山全てが城

天守も石垣も無かった春日山城は天守好きの人には物足りないかもしれませんが、山全体が城であり、麓からは全貌が見えないという秘密基地に通じる魅力がありますね。息を切らしながら本丸にたどり着くと上越の街並みが一望できます。この山に主立った者の屋敷もあったそうで驚きますが、一番驚いたのはこの高さの二の丸に井戸があることです。地質によりサイフォンの原理で水が湧くそうで、直径10mの大井戸は今も水を湛えていました。

63.春日山城より眺望

翌朝は日本にスキーを伝えたレルヒ少佐の像を見てから高田城へ。本丸跡は学校になっていますが、三重櫓が復元され内部は資料館になっています。外堀と内堀の間は美しく整備された公園で、水と緑に三重櫓が映えます。桜や蓮の時期もたいそう美しいようです。さて、この後南下して長野県の飯山市に行ったのですが、目当ての「一本づえスキー最中」は製造終了でがっかり。同行のスキー愛好者がレルヒ少佐のグッズが欲しいと言うので、妙高新井の道の駅まで30kmほど戻り、ゆるキャラとなったレルヒさんのグッズを買って帰りました。

情けの塩最中

かなざわ総本舗 新潟県上越市稲田4-11-5 025-522-5500 無休
高田城の北から関川を渡る橋と上新バイパスの中間。上杉謙信や直江兼続に因んだ和菓子が中心です。一番人気の出陣餅は信玄餅に似ていますが、よもぎ餅です。店内に甘味処があり、かき氷やあんみつなどが食べられます。駐車場は広いです。